新年あけましておめでとうございます。ジェイグラブの横川です。昨年のうちに吐いておくべきものを持ち越してしまったので、新年一発目から猛毒を吐きます。
PHPに素晴らしい記事がありました。
日本の社員は「世界最低クラス」…松下幸之助が大切にした熱意が消えた理由
「最低クラス」とありますが、給料の話ではなく、新しいことや変化に対して臆病者が多いという内容です。
為末大さんの「なにかあったらどうするんだ症候群」も同じような指摘です。
なにかあったらどうするんだ症候群とその対処法
PHPの記事中には
2017年に企業を対象にアメリカのギャラップ社が行なった従業員エンゲージメント国際比較調査によれば、日本は「熱意あふれる社員」の比率が6パーセントにとどまり、139カ国中132位の世界最低クラスだった。国際比較調査において日本人は相対的にネガティブな回答をする傾向がある・・・
「日本の社員は「世界最低クラス」…松下幸之助が大切にした熱意が消えた理由」より
実際、二言目には「でも」が出る人、データだ他社の動向だと、細かいことを言い出してブレーキになる人、髪の毛ほどの些細な不安でさえも払拭されないと半歩も前に歩き出せない企業をたくさん見てきました(海外企業ならリスクを理解した上で即日前に進みますが、日本企業はリスクがわかるとその場で足踏みを始めます(東洋経済オンラインの「日本人「マスク外す日」、永遠に来そうにない6理由」のなかでも、「日本人のリスクを極端に恐れる「ゼロリスク」志向」と言うかたちで触れています。)。
データとか、費用対効果とかを金科玉条のように言う人は、データというものがどうやってできるのかという根本を見落としている感じがします。データといえど、馬鹿と鋏は使いようでして、使って意味あるものと、知ったところであまり意味がないというものがあります。
例えばこういうデータが出てきたとします。
どうやら「女性が多く買っているらしい・使っているらしい」ということがわかります。となれば、女性に受けるパッケージを作ろうとか、女性にささるキャッチコピーを考えようという戦略が立てられます。
この場合、若者の間で流行っているようだとわかりますので、若い世代に見つけてもらえるようにしようと考えますね。逆に年輩の人に人気がありそうならノスタルジックな表現で注目させようとか考えるかもしれません。
こうしたデータの使い方は、戦略策定上とても有意義で、データの使い方としてはいい使い方だと思います。
一方で、こういうリクエストも多く受けます(というより、こういうリクエスト多いです)
自分の取扱商品(または海外の類似品)が売れているのかデータが欲しい
そして、上図のようなデータが出てくると、「なるほど、売れていそうだな!越境ECやるぞ!」と判断する方がいます。
逆に上図のように低い水準で横ばいか右肩下がりのデータが出てくると、「厳しそうだな」と判断するのでしょう。
一見すると、賢明な判断に見えますが、私なら全く反対の結論を出します。右肩上がりなら「厳しそう」、低い水準のデータなら「チャンスあり」と。
そもそもデータとは、どうすると出来上がるのでしょうか。
データとは先行者がいなかったら出来上がらないのです。
データとはあくまで「先行者たちの行った結果を統計的に表現したもの」にすぎないので、自分自身がデータのとおりになるという保証はどこにもありません。上向きになるデータを信じて始めても失敗するかもしれないし、厳しいデータを突きつけられても、逆にうまくいってしまう可能性もあります。
(有名な話ですが、ドラマの半沢直樹は、下馬評では視聴率が取りにくいジャンルだと言われており、製作者たちも視聴率は15%も行ったらいいなぁ程度にしか考えていなかったと言われています。それが蓋を開ければ最高視聴率42%まで行き、当時の関係者たちが「いかにマーケティング・リサーチというものがあてにならないかということを痛感した」と語っていました)。
裏を返せば、データがあるということは「自分は後発者である」ということを突きつけられています。それは、場合によっては目指す市場がレッドオーシャンである可能性もあるということです。安定志向の人はそれでもいいかもしれませんが、それならば、それなりの成果しかでません。諦めるのではなく、どうしていくかが重要です。
ブルー・オーシャン戦略を取るならば、「まともなデータが出てこない」ほうがチャンスが絶大という可能性がありますし、むしろ悦に入るならこっちでしょう(私ならこっちです。存在するデータをありがたがるより、自分でデータを作り、それを元に次の策を練る。そして市場シェアの大半を獲得し、後発者が気づいて参入してきても、もう手遅れで、どんなに頑張っても追いつけない、もはや後発者は絶望感しか味わえないというくらいになるように頑張ります)。
「越境ECをやるかやらないかを判断するためにこういったデータがほしい」という考えもあるでしょう。
しかし、2020年代の日本がどうなるか、これ以降の日本がどうなるかという話は、ここ2~3年の話はなく、下図のような人口ピラミッドが常に頭にあれば、20年前、30年前からわかっていたことでした。
日本国内でもう売れなくなっていき、現状の経済レベルの維持が難しい未来が決定的なのだから、自分の商品が売れるかどうかを見てからではなく、越境ECは「やるか・やらないか」しかないのです。自分の商品が売れるか売れないのか、確認してから越境ECをやるかやらないか決めるという悠長な事を言っているレベルではないのです(もちろん、家族や従業員、従業員の家族、後継者を路頭に迷わすことなく閉業する(越境ECはやらない)という選択もあります)。
そして、やると決めたら、「どう売っていくか」ということを考えないとならないのです。データは「やる・やらない」を考えるためではなく、「越境ECはやる。そして(目指す場所がレッドオーシャンだとしても)どうやるか」を考えるために駆使すべきなのです。実際やり方次第です。
そのため、「売れているかどうか」という指標は、これから目指す道が容易いか茨の道かを知る以外に使い道がないと思います。
もう日本は追い込まれているので、ぶっちゃけて言ってしまうと、「ごちゃごちゃ御託を並べる暇があったら、さっさとまずやる」なんです(やると決めたら)。
越境ECで成功している人や企業の多くは、世間の大半がまだ日本だけで間に合うと考えていた10年~20年前から始めていた場合が多く、苦労の蓄積が今の成功につながっています。10年前~20年前といえば、越境ECの先行者などいない時代でしたから、何かあっても誰にも頼れないので、全部自力で解決していくしかありませんでした。日本語サービスもほとんどないので、辞書を引きながらやった人もいると思います。
当時は、お金も技術も翻訳ツールも現在ほどお膳立てされていないという状況で、理想的な仕組みがなければ創意工夫で乗り切るしかありませんでした。ちなみに現在でもなお、自分の頭で考える場面や創意工夫をしないとならない場面は依然として出てきます。
また、頭で理解しようとするより、実際に越境ECをやりながら体験して覚えたほうが圧倒的に早いですし、体験のほうが血肉化しやすく、のちのち大いに役に立ちます。いまからスタートする人は、とにかく早く、とにかく集中して取り掛かる必要があります。
先行者たちのような経験をしている人は強いです。そしてそういう人や企業に共通しているのは、「リスクがあるのは承知で、とりあえずやってみる(トラブったらその時はその時と腹をくくる)」という感覚の持ち主が多いように思います。
こうした傾向の人や企業は、
「利口な人はいらない。得てして行動しないから。バカもいらない。足手まといになるから。求めているのは大バカ者。愚直で、一生懸命になって突っ走ることのできる人」
「日本の社員は「世界最低クラス」…松下幸之助が大切にした熱意が消えた理由」より
に当てはまる傾向があります。
うまくいくかどうかはその人の素質にかかっています。しかし、その素質は生まれつきのものではなく、いつからでも変えることができるのです(私も外資系企業で外国の企業文化に触れていなかったら、ネガティブなことばかり口走ってなかなか踏み切らないタイプだったと思います)。
意識を変えるのはそんなに難しくありません。ほんの数回外国人とコミュニケーションを取れば、変わるきっかけくらいいくらでも出てきます(インターネットの時代ですから、無理に外国に行かなくても交流はできてしまいます。また、外国人との交流の中から、逆に日本の良さも心底わかります。愛国心は日本にいなければ育たないというものではありません。海外と接する方がむしろ育ちます)。せめて変態的臆病から変態を取りましょう。リスク込みで積極的に海外との接点を作ること。これが国際化であり、越境EC成功への近道だと思います。
自分自身がマインドセット出来るのが一番ですが、できそうにない・自分にその素質がないと思えば、越境EC向きの人材を探しましょう。そして、その人の邪魔にならないようにしましょう。
弊社は越境ECを始めようという事業者様に伴走サポートをします。しかし、ケネディ大統領の名演説よろしく、サポートする側・される側の意識が合ってはじめてうまくいくものだと思います。頼るだけ、甘えるだけで成功できるなら、同業他社も含めてサポートを受けた企業の中から、もうとっくに大富豪が生まれていていいはずです。
年明けからキツイことばかり書きました。
しかし、世界は日本以上にシビアで、ずる賢い人たちが多い世界です。
そして、日本の将来を考えると、そろそろこのあたりが正念場だと思うので、簡単に売れるなどと甘言を弄して御社の資金をせしめとるような方向に向かわないように、正直に厳しいことを書きました。
私が常々日本企業は変態的臆病、変態的神経質とか、重箱の隅をつつくことが「仕事の出来るヤツ」と勘違いしている担当者のいる企業は悲劇だといい続け、知識を得て満足するよりも、意識を変えることが何より重要だと言ってきたのはそういうことです。ずっと言い続けてきましたが、最後はこれに尽きます。